何かを学ぶ上で素直さは宝のようなものです。素直な心は新しい知識や経験に対して
柔軟性を持って受け入れることができるからです。過去の知識や先入観にとらわれず、
素直な姿勢で新たな情報やアイデアに触れることができたら、正しい知識と深い理解が
得られることでしょう。
それは、学問に限らず創造主の真理が記されている聖書を学ぶ上でもとても大切で
す。しかし、人々は聖書の伝えていることと、自分の持っている考えが異なってしまう
と、創造主の言葉である聖書を素直に理解することが難しくなってしまいます。聖書通
りではなく、自分の考えに沿うように聖書に書かれていることを曲げて解釈し、それを
流布(るふ)して混乱を引き起こすことがあります。曲解は、自らに滅びを招くことに
なると、あらかじめ、2000年程前に使徒ペテロが警告しています。
その中で、ほかのすべての手紙でもそうなのですが、このことについて語っています。
その手紙の中には理解しにくいところもあります。無知な、心の定まらない人たちは、
聖書の他の個所の場合もそうするのですが、それらの手紙を曲解し、自分自身に滅びを
招いています(第二ペテロ3:16)。
現在、人々は聖書を素直に学べなくなっている代表的な事柄があります。それは天地
創造の経緯についてです。
冒頭では何事も学ぶ上では、素直さが大事であると述べましたが「鵜呑み」はいけま
せん。控えめに言っても、大多数の人は進化論を鵜呑みにしていると言ってもよいでし
ょう。ダーウィンが「種の起源」を発行してから随分経ちますが、いまだに生物が進化
した証拠は一つも出てきていません。進化論を信じる人は「偶然」と「長い年月」とい
う言葉で進化論が正しいと結論づけます。地球の歴史についても同様です。実際、進化
論は仮説でしかなく、進化論思想の発端は「創造主がいないとしたら人類の起源はなん
だろうか?」というところから始まったものであり、もはや科学でも何でもないと言え
ます。
しかし、わずか150年ほど前から進化論がまことしやかに唱えられるようになり、学
校で進化論を学んだ人は、天地創造の経緯を聖書に書かれている通りには理解できなく
なりました。クリスチャン人口の多いアメリカでも多くの人が創世記を読むときに葛藤
が生じ、その結果、聖書と進化論の折衷案である「有神進化論(生物は神の力によって
長い時間をかけて進化したという説)」を信じるようになりました。しかし、先入観に
とらわれず聖書を素直に読んで天地創造について考えるならば、現在見られる自然や
様々な現象(地層、化石、大陸、生物、天体、言語等)は、聖書に書かれていることが
真実であることをとてもよく表しています。
12使徒がイエスキリストを宣べ伝え始めた時、使徒パウロの話を聞いた者は、聖書
に基づいて論じ合ったとあります(使徒17:1)。また、疑わずに素直に聞いた人々の中で
も、パウロの伝えたことを鵜呑みにせず、果たしてその通りかどうかと聖書を調べたの
です。
ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも素直で、非常に熱心にみことばを聞
き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた(使徒17:11)。
現在、様々な問題が山積みになり、戦争のニュースも珍しくない時代がきました。世
の中は確実に乱れてきています。今こそ、私たちは聖書に素直になる必要があるのでは
ないでしょうか。テレビやネットニュースが伝えていることを、鵜呑みにしても良いの
でしょうか。私たち一人ひとりのメディアリテラシーが問われています。
創造主なる神が、被造物である人間の指南書として最初に与えてくれた書物である
「聖書」の価値を考え直すべきです。もし、私たちがもっと聖書に基づいて考え、聖書
を素直に学ぶならば、昔に書かれた聖書であるとはいえ、その言葉は最新の情報とな
り、私たちの人生を豊かにしてくれることでしょう。それは私たちが自らを滅びに至ら
せないためであると、聖書は伝えています。
ぶどうの木国際教会
ハワイホームチャペル
加藤 あや子
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