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「知って、見極めよ」

人間の乳児期と思春期の体の成長が著しいことは誰もが知っています。平均的な体格の赤ちゃんは、約3kgで生まれ、1年で6kg増え9kgになると言われています。身長については、生まれたときに50cm前後の赤ちゃんは、1年で25cm伸び、2年目以降は、7〜10cm程度になり、4年目以降は1年に5センチほど成長します。その後思春期に再び大きく成長し、それを超えるとやがて成長は止まります。最初の1年の成長はその後の年齢の時のそれに比べて大きいことはよく知られています。





では考えてみましょう。例えば、身長120センチの10歳の子供がいたとします。ある科学者

が来て、その子の現在の姿だけを見て、身長が1年に5センチ伸びていることから推測し、本当は24歳(120÷5=24)であると主張したらどうでしょうか。周りにいる者は、その科学者の推測の方法が間違っていることを指摘し、笑い話となることでしょう。私たちは皆、乳児期には成長の度合いが著しい事を知っていますし、子供の両親はその子は10年前に生まれた事を知っているので、10歳であることに疑いの余地を持ちません。


地球の年齢についてはどうでしょうか。地球は生きていて、その生まれた時があります。一

般に進化論では、地球の年齢を46億歳だと言っています。これは本当でしょうか。聖書的創造の土台に立って考えるならば、地球の年齢は約6000年であり、科学的な検証を通してもその方がさまざまな事象をよりよく説明ができるのです。





では、なぜ進化論では地球の年齢が46億歳であると主張するのでしょうか。それは先述の身長120センチの小学生の年齢が本当は24歳だと主張することと同じだと言えます。ある時に急激に成長(激変)したことを考慮しないならば、その子を24歳だと推測するのと同様に、地球も46億歳であると推測しているのです。


この理論は、現在の地質学の基礎となっている考え方で「斉一説(せいいつせつ)」と言い

ます。斉一説とは「自然界において、過去に起こった事象とそのプロセスは、現在観察されている事象とそのプロセスと同じだろう」とする考え方です。つまり、現在見られる、ゆっくり変化する事象(大陸の移動や地層の堆積等)を見て、過去を推測しているのです。この斉一説で考えるならば、地球は誕生してから46億年になるというわけです。しかし、これはあくまでも「ゆっくり」を想定し推測しているに過ぎません。過去に激変があったことを認めない考え方です。


斉一説は「現在は過去を知る鍵」と言われています。まず現在を「見」そして次に「知る

(推測)」という順序で考えます。しかし、聖書はその逆を勧めています。まず「知り」次に

「見る」という順序を重要視します。


旧約聖書のエレミヤが活躍した時代、創造主が預言者エレミヤを通してイスラエルの民に厳

しく語られています。その当時イスラエルの民は世の中の目に見える祝福(物質主義)を求め

るあまり、偶像礼拝に陥っていました。そんな民に創造主が語られたのです。それは、今まで神がどれほど民を愛してこられたか、神が常に民を守り、導き、祝福してこられたかということでした。それを知っても更に民が偶像礼拝を続けるならば、裁きが下るという警告をされたのです。神は民に対して「知って、見極めよ(エレミヤ2:19)。」と厳しく語られました。「まず知り、次に見よ」と言われたのです。「知る」とは神を知る事、聖書を知る事です。


聖書には、創造主がこの世界を6日で造られたことが記されています。そのことを「知り」

聖書に書かれている年代を計算すると、地球は約6000歳になります。また、大洪水が起き、大陸移動や隆起が起こり、地に激変があったことも記されています。それらのことを「知り」その上で、科学的に検証(見る)していくならば、現在ある地層や化石は「地質学的激変」の証拠であると「見る」ことができます。聖書を知ると、真実を見出す事ができるのです。先述の身長120センチの小学生に話を戻しますと、周りの者はその子が10年前に生まれたことを「知」っています。また、幼い時に急激に成長したという「激変」があったことも知っています。すると、その子が現実に子供らしい振舞いをすることも疑問に思わず、まだ10歳であることを「見る」ことができます。そして今後も更に成長していく事をその子に伝えることでしょう。「思春期には再び身長が大きく伸び、男の子なら男らしく、女の子なら女らしくなっていき、大人になるんだよ、驚かないようにね」と。


この世界も同じです。この世界は創造主によって約6000年前に造られました。大洪水が起

き、激変によって、大陸は進化論で言われているよりも遥かに短期間で移動し、隆起し今のような形状になったのです(洪水激変説)。斉一説が言うのように、46億年かけて徐々に変化したのではありません。過去に起きたこの事実は創造主のみがご存じです。聖書にはその証言が綴られています。そして、その同じ方がこれからの事についてもこう言われます。


また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい(マタイ24:6)。(この箇所はこの後も、この世界の終わりのことが綴られています。マタイの福音書24章を読まれることをお勧めします。)


マタイの福音書に書かれていることを含め、聖書はすべて私たちへの警告だと言えます。私

たちがこのことを「知って、見極め」ることを創造主は望まれています。


残念ながら斉一説のように「見て、知る」というのが科学の基本です。しかし、聖書を「知」って、この世界を「見極める」ことこそが、過去の出来事をより正確に知る鍵です。更に、過去だけでなく、これから先の未来を生きる上でも確かな安心を得ることができる鍵であると言えるのです。



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ぶどうの木国際教会

ハワイホームチャペル

加藤 あや子


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