経験年数というのは時にはとても重要です。例えば会社員が、会議中に自分の意見を通した
いと思う時には「私はこの会社に来て〇〇年になりますが•••」と言いながら意見を述べることは効果的です。 私は介護の仕事をしていますが、初めてのクライアントの家へ行くと、その家族や本人に「あなたは何年この仕事をしていますか?入社して何年ですか?」とよく訊かれます。長くその仕事をし、長くその組織に在籍していればいるほど、その人をより信用することができ、その人の意見は尊重されるという現実があるのではないでしょうか。
若干20歳で預言者として神から召命を受け、戸惑った人物がいます。旧約時代の預言者エレミヤです。彼はイスラエルがやがて滅び、人々はバビロンに捕囚となって連れていかれると預言しました。偶像礼拝を捨て、主により頼むようにイスラエルの民へ語ったにもかかわらず、人々は彼のいうことを受け入れず、ますます罪が蔓延(はびこ)り、悲しい預言は現実になりました。エレミヤは、エルサレムが陥落し人々が捕囚となって連れていかれるのを悲しみの目で見たことから「涙の預言者」と言われています。
エレミヤは、神から預言者の働きをするように告げられた時「私はまだ若くて、どう語って
いいかわかりません。(エレミヤ1:6)」と躊躇しました。しかし、そんなエレミヤに神は「ま
だ若いと言うな。私があなたを遣わすどんな所へでも行き、わたしがあなたに命じるすべての事を語れ(エレミヤ1:7)」と言われました。
神がそう言われるのには根拠があります。それは、創造主なる神はエレミヤが母の胎内に形
造られる前から彼を知り、聖別し、預言者として定めておられた(エレミヤ1:5)からです。神
はエレミヤをお造りになられたので、彼を知り尽くしておられます。エレミヤの性格や経験、家族構成、もちろん年齢もよくご存じです。エレミヤ以上にエレミヤをご存じの神が、彼をその時に預言者に任命されたのです。
私たちは、自分こそ自分のことをよく知っていて、一番長い付き合いをしていると思ってい
るのではないでしょうか。しかし、エレミヤに語られたように、それよりももっと長く「私」という人間を知っているのは「私」を造られた神なのです。そう言われてみれば、自分のことは、物心が付いた頃からしか知りません。しかも幼い頃のことを覚えていても、それは断片的で半径50センチぐらいの距離空間のことのみです。大人になってから知っているかというと、自分の後ろ姿も直接見たことがないのが現実です。第一、明日の自分のことはわかりません。これでは自分のことを一番よく知っているとは言えないでしょう。ですから、創造主なる神の方が「私」のことをもっとよく知っておられるというのは事実だと言えます。神は私の周りに起きた過去から現在、未来のこともすべてご存じです。「私」についての経験年数が一番長いのは神なのです。
エレミヤに語られたように、神が、私たちのこともよく知っておられるのだとすると、今あ
る環境の中に私たちを置かれたのも神であると言えます。私たちがたとえ若くても、経験が豊富か未熟か、それが長いか、短いかという事も、そんなことは神には問題ではありません。なぜなら、神が私たちを、今この場所に、この環境に、この仕事に、この家族に、この人間関係の中に定めておられたからです。それは生まれる前からのご計画なのです。ですから、たとえ若くても、未熟でも、神が定められたことを断る理由にはならないと言えます。私たちの全てを見て知っておられる神は、私たちたちが何をどのようにしたら良いかを一番よくご存知です。神はエレミヤに語られたように私たちへも同じように励ましてくださいます。
「わたしはあなたを遣わすどんなところへでも行き、
私があなたに命じるすべての事を語れ。彼らの顔を恐れるな。
わたしはあなたと共にいて、あなたを救い出すからだ」
エレミヤ1:7~8
聖書の神は永遠に存在されるお方です。詩篇の著者はこう告白しています。
「山々が生まれる前から、あなたが地と世界とを生み出す前から、
まことに、とこしえからとこしえまであなたは神です」
詩篇90:2
神は人間の歴史のすべてをご覧になってきました。一番長くこの世界を知り、一番深くこの
世界を愛しておられるお方です。一番この世界についての経験が長いのは神です。ですから創造主なる神は最も信頼できるお方であり、私たちは神のみ言葉にもっと耳を傾けるべきではないでしょうか。
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ぶどうの木国際教会
ハワイホームチャペル
加藤 あや子
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