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生きた関係



レストランに行って食事をした時、接客してくれる人の態度によって「また来よう」と思う

かどうかが決まると言われます。食べ物の味に加えて、どのようなサービスを受けたかが大切な要因となります。良い接客は、顧客に快適さを感じさせ、リラックスして食事を楽しむことができる環境を提供し、リピーターを増やします。その要素として、ウェイターやウェイトレスの態度、注文の正確さ、食事の提供のタイミング、顧客の要望への柔軟な対応、そして笑顔や親切な態度などが含まれます。つまり、短い間に顧客との間に生きた関係が生まれるかどうかが問われます。もし、生きた関係を作ることができれば、顧客は良い印象を持ち、そのレストランを友人や家族に勧め、再訪する可能性が高まると言えます。人は社会的な生き物ですから、他者との良い関係、特に生きた関係を持つことができると心地よさを感じます。人間の赤ちゃんは生まれた時すぐに母親(保護者)との生きた関係がなければ、死んでしまうことも少なくないと言われています。それほどまでに人には他者との生きた関係が必要不可欠であるとがわかります。


では生きた関係とは、どんなことを指すのでしょうか。それは、レストランの例でもわかる

通り、単にそこにお互いが存在しているだけではありません。共感、コミュニケーション、信頼、支え合いなど、さまざまな要素から成り立っています。具体的に人は生きた関係によって、深い絆を実感できます。それは通常、数ヶ月や数年の短期的な付き合いではなく、時間をかけて築かれるものです。家族、友人、伴侶、仕事仲間など、さまざまな関係がこれに該当するでしょう。また、生きた関係とはお互いに共感し合い、相手の感情や状況を理解しようとします。さらに、生きた関係では、共有の経験や思い出が豊富になります。一緒に過ごした時間や共通の趣味、経験がより関係を深めることになります。その結果、生きた関係を通して、お互いに信頼し、支え合うことができるのです。





しかし、生きた関係は簡単に築かれるものではありません。信頼や共感を築くためには時間

と努力が必要であり、時には問題や摩擦も生じます。また、関係は変化し成長します。この変化を受け入れ、適切に対応することも大事だと言えます。


聖書の神は、人と生きた関係を求められます。なぜなら「主は生きておられ、人格をお持ち

の神」だからです。ここは他の宗教と違い、聖書の示す神の大きな特徴だと言えます。

旧約聖書の時代、預言者エレミヤを通して、神は人にこう語られています。「主が生きてお

られると誓うなら..(エレミヤ4:2)」と。これは「主なる神が生きておられ、その神と生きた関係を持つことを誓うなら」という意味になります。


なぜ神がここでイスラエルの民にこう言われたのでしょうか。それは、それまでイスラエル

の民は、偶像礼拝をし続けていたからです。神殿礼拝をした帰り道に、偶像礼拝もしていました。つまり、主と生きた関係を築くことをせず、形式だけの礼拝、口先だけの悔い改めをしていたのです。そこには「死んだ関係」と言えるような関係しかなかったからです。つまり「深い絆」「共感」「コミュニケーション」「信頼」などが全く築かれていませんでした。そのような民の態度に神は大変怒られました。


人と人が生きた関係を心地よく思うのは、人がそのように造られたれたからです。人は、そ

もそも生きた関係を持つことができた時、心地よく感じるように造られているのです。それは対人と対神との両方です。生きた関係を築けるのは、相手が生きている必要があります。人は生きておられる神のみと生きた関係を築くことができるのです。聖書の神は生きておられます。このお方と個人的に生きた関係を持つことが、キリスト教の信仰生活です。


イエス・キリストは、人と生きた関係を築くためにこの世に来られました。キリストは、神

の独り子であられるお方なのに、ご自分を低くして、人としてこの地に来て下さいました。私たちを蔑むことなく、無条件に愛し、私たちのどうしようもない愚かな罪のために十字架で身代わりとなり、死んで下さいました。このお方は、過去の偉人や宗教家ではなく、罪と死に打ち勝ち復活され、今も生きて私たちとともにおられるお方です。その生き方を通して、まず先に、私たちに生きた関係(深い絆、共感、コミニュケーション、信頼)を築くことができるようにして下さったのです。そのお方と個人的につながることができる人生はなんと素晴らしいことでしょうか。


↓このテーマでの礼拝メッセージはこちらから





ぶどうの木国際教会

ハワイホームチャペル

加藤 あや子

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